これまで筋肉を「動かす仕組み」を見てきました。
脳からの指令が、2つの神経細胞を介して筋肉に伝えられます。歩く時も話す時も字を書くときも、この“指令”が筋肉を動かしています。ですからこの伝達系(錘体路系)が障害されると歩いたり話したり字を書いたりができなくなります。
運動は全てこの錘体路系に依存しています。でもこれだけではありません!錘体路系だけでは上手く動かせないのです。例えば腕を曲げようとしてみましょう。曲げる方の筋肉は収縮し、反対側の筋肉は緩んでいますよ!両方同時に収縮したら腕は困ってしまいますよね。筋肉は関節を挟んで二つの骨とつながっています。ですから筋肉が縮むとこの二つの骨の間が狭くなる=曲がる仕組みです。伸ばす時は曲げる時に緩んだ筋肉が縮み、縮んだ筋肉が伸びる仕組みです。ちゃんとチームプレーになっているのですね。そこには、別の神経細胞がちゃんと働いているのです。こっちを伸ばして、こっちを縮めてなんていちいち考えていませんよね。つまりこの調整する神経細胞は脳とは直接連絡していません。例えば脊髄にあってその場で働いています。ということは、脊髄損傷の治療では錘体路系だけでなくこの神経細胞も修復しないといけませんね。
器用不器用ってありますよね。錘体路系で筋肉を縮めることはできますが、器用に縮めるためには更に二つのチームワークが必要です。
一つは小脳。小脳って運動神経と聞かれたことありませんか?筋肉を直接動かす神経は錘体路系、小脳はそれをスムーズに調整しています。お箸で食事をする時ってかなり細かい動きが必要です。縮みすぎても縮が少なくても上手くつかめないでしょう。この調整をしているのが小脳です。小脳の病気では「麻痺」は起こりませんが、歩きにくくなったり、話しにくくなったりします。
例えば大脳の梗塞では小脳は障害されません。再生医療で大脳の梗塞を治す時にはこの大脳と小脳の連絡もちゃんと修復しなければなりませんね。そうでないと動くようになったとしてもスムーズな動きには戻りません。
脳細胞が障害された時その神経細胞を移植しただけでは治らないのはこうしたチームプレーを修復するのが難しいからです。
もう一つは錐体外路系という別の脳からの指令系統。糸でできた操り人形だと、手を放すと、ぺちゃんこになってしまいそうです。私たちの身体=筋肉は程よく「緊張」しています。ぐにゃぐにゃでもなく、コチコチでもなく。この“柔らかさ”を調整しているのが錐体外路系。これ自体がとても複雑で精巧にできていますが、ざっくり言えば動き易さの調整です。パーキンソン病という病名を聞かれたことがあるかも知れません。この錐体外路系の病気です。身体が固くなるでしょう。この錐体外路系の働きには必ずしも神経連絡を必要としない部分があります。パーキンソン病ではドーパミンという神経伝達物質が減るのですが、脳の全体で減るわけではありません。でも、例えば口から薬を飲んだら動き易くなります。脳全体に補充しても効果があるからです。脳移植による再生医療もその点では同じです。決して細胞が無くなったところに移植するのではありません。ドーパミンが補充されればある程度改善します。錘体路系の神経伝達物質とは働く仕組みが違うようです。
人では筋肉一つ動かすのに、沢山の共同作業が行われています。①錘体路系、②介在ニューロン、③小脳系、そして④錐体外路系。それぞれが、イオンの動きによる電気信号と、神経伝達物質による信号を駆使して指令を伝えています。更にですよ、それぞれの指令系統を調整しています。ということは、取りも直さず、それぞれの状態を刻一刻把握している系統がまだあることを意味しています。
細かい仕組みは十分に分かっていませんし、記憶する必要はありません。ただ、指1本曲げるのも、多くの神経細胞ネットワークが共同しあっています。その指令を「脳」が統率して、更に一部は脳が直接関与せずに現場任せ=反射であって、そうした神秘コンプレックスの賜物です。素晴らしいチームプレーですよね。自動車の自動運転の複雑さには驚かされます。でも、私たちが指1本曲げる仕組みがどれだけ奥深いか感じて頂けたでしょうか?
このシリーズは今回で一区切りです。手足が動くときの仕組みについて順を追って考えてきました。「運動系」と呼びます。ちょっと触れましたように、運動系だけで“運動”できる訳ではありません。刻一刻状況を把握しなければならないからです。これは「知覚系」。また広い神秘世界が広がっています。機会を見てまた考えてみましょう。
ピノキオがヒトになる時、機械仕掛けから「神秘世界」に移ります。AIも歩くロボットも日進月歩です。複雑さだけであればAIがヒトを追い越す日が来るかも知れません。無限に続く無理数も超越数も数直線上にある限り実数として理解することができます。もし同様にヒトが物理化学直線上に存在するならヒトと区別できないAIがやがてできるでしょう。
もう一つ。全ての生命は細胞からできています。遺伝子は設計図ですから「遺伝子が分かれば細胞は全てわかる」ように感じられるかもしれません。そんなことは全くありません。遺伝子は解読し、編集することができます。しかし、人類は未だかつて最も単純な細胞一つ作ることはできません。最も単純な生命の誕生を観察したことすらありません。琥珀に埋められた蚊が吸った血液のDNAから恐竜を作ることは夢物語ではないでしょう。でも、勘違いしてはいけないことは、“ジュラシックパーク”で行ったことはあくまで遺伝子操作であって、生命を誕生させたのではないことです(J Gurdon先生のお仕事と同じですね!振り返ってみますと、M Crichtonの小説1990年、ノーベル賞受賞1992年、映画1993年)。
「生」と「死」は存在するでしょうか?するとして、人類は「生」と「死」の違いを区別できるのでしょうか? 少なくとも現在、どの様な物理化学尺度をもってしても「生と死の差」を測定することができません。
どうやら「生命」は物理化学直線上には無いようです。
新しいシリーズでは、神経の病気の治療について考えていきたいと思います。
脳梗塞や脊髄損傷の再生医療が注目されています。今回のシリーズでお話してきた「神経系の仕組み」を踏まえた時、どの様な治療が可能になっていくでしょうか!
(neuron)