1.死の谷と呼ばれる障壁
iPS細胞から作製した自家網膜の組織を、理化学研究所などの研究チームが滲出型加齢黄斑変性注1)の患者さんに初めて移植したのは2014年でした。その後、iPS細胞はパーキンソン病、重症心不全、角膜上皮細胞疲弊症、脊髄損傷などを始め、難治性の疾患に対し、臨床応用されています。iPS細胞は基礎研究の段階から難治性疾患の治療法として患者さんに応用する段階に入っています。ここからは、「死の谷」と呼ばれる研究開発段階から事業化段階の間に存在する障壁である、ヒト・モノ・カネなどの事業資源を適切に獲得することが必要とされています。
「死の谷」は技術経営の分野では、研究開発から事業化までの各過程で乗り越えなければならないとされる三つの障壁の一つです。第一は魔の川です。立上げた開発プロジェクトが、基礎研究から製品化を目指す開発段階へ進めるかどうかの障壁です。製品化の見通しがつかず、研究費が水泡に帰すことから川に例えられています。第二が死の谷です。研究開発段階から事業化段階へ進めるかどうかの障壁です。生産設備や流通経路などを確保するために、大量のヒト・モノ・カネを投ずるため、死ぬほどの深い谷に例えられています。最後がダーウィンの海です。度重なる障壁を乗り越えて市場に売り出された商品が、競争相手や顧客の判断により、生き残れるかどうかの障壁です。
2.次世代医療・iPS細胞治療研究センターの設立
京都大学はiPS細胞を用いた再生医療、がんや希少疾患などの治療法の効果や安全性を人で調べる臨床研究注2)(治験)注4)を重点的に実施する「次世代医療・iPS細胞治療研究センター(Ki-CONNECT)」を開設したと発表しました(2020年4月6日)1)-3)。このような病棟が設置されるは国内初だそうです。
大学の研究者らが細胞や動物の実験で病気の治療法を開発できたとしても、実用化に至るまでの費用や安全性、人での効果の違いなどから、企業が治験を担って実用化するまでに至らないことが多いとされ、Ki-CONNECTの設立は研究開発段階から事業化段階の間に存在する障壁である「死の谷」を乗り越えるのを狙いとしています。
Ki-CONNECTは同大学の研究成果と同大学附属病院がもつ病気の情報などを集積し、開発した治療法で有望なものを患者さんに早く届けることをめざすとしています。同大学附属病院の敷地内に専用の病棟を新設し、2020度は15床でスタートし、2021年度から30床に増やす計画です。
開設にあたり、同大学附属病院の宮本院長は、「近い将来、Ki-CONNECTで行われる様々な臨床試験注3)が大きな成果につながり、がんや難病などに苦しむ多くの患者さんに一刻も早く革新的な医療を届けられるよう、一丸となって取り組んで参ります」と述べられました。また、iPS細胞研究所の山中所長は「Ki-CONNECTの素晴らしいスタッフの方々と、iPS細胞研究所の研究者、医療用iPS細胞を作るiPS細胞研究財団のスタッフ、そして企業、患者さんが一つの目的の下につながれば、この死の谷を乗り越える大きな力になると確信しています」と語られました。
なお、Ki-CONNECTの試験受入れ体制、施設概要等詳細については、以下のサイトを参照ください。
Ki-CONNECT:https://www.ki-connect.kuhp.kyoto-u.ac.jp/
3.加齢黄斑変性の移植手術のその後4)
冒頭のiPS細胞から作製した網膜の細胞を加齢黄斑変性の80代の患者さんに実施された移植手術のその後です。手術後、一定の機能を果たしており、順調に経過しているとのことです。理化学研究所などの研究チームは2014年9月、患者さんの皮膚の細胞からiPS細胞を作製し、網膜色素上皮細胞に分化させ患者さんの右目に移植しました。その移植時に、未分化のiPS細胞や目的外の細胞が混在すると、がん化する危険性があります。臨床研究では安全性の確認を主な目的としましたが、移植後5年経っても、細胞はがん化せず、移植した細胞はその場にとどまっているとのことです。
移植前では治療薬を計13回注射することで視力の維持を図っていましたが、移植後は注射することなく視力が維持されているとのことです。ただ、まだ費用が高く、当該の患者さんと同じような方法でたくさんの患者に保険適用するのは難しいようです。手術後5年の状況については、2020年3月の日本再生医療学会総会で発表される予定でしたが、新型コロナウイルスの影響で見送られました。
4.自家培養角膜上皮「ネピック」の保険収載が了承
(株)ジャパン・ティッシュ・エンジニアリングは、開催された中央社会保険医療協議会の総会において、自家培養角膜上皮「ネピック」の保険収載(2020年6月1日付)が了承されたと発表しました(2020年5月13日)5)。眼科領域における国内初の再生医療等製品が市場に導入されることになりました(当センターの再生医療トッピクスNo.84再生医療等製品の開発状況 角膜上皮幹細胞疲弊症/脊髄性筋萎縮症を参照ください)。
当該再生医療等製品は、角膜上皮幹細胞疲弊症注5の治療を目的としたもので、眼科領域で国内初の再生医療等製品です。当該製品は、患者さん自身の角膜輪部組織から角膜上皮幹細胞を採取してシート状に培養したものです。同製品を移植することにより角膜上皮を再建させることを目的としています。同社は、眼科医療機器メーカーである(株)ニデックからの委託を受け「ネピック」の開発を進め、2020年3月に「ネピック」の製造販売承認を取得し、今回の保険収載の了承に至りました。なお、同製品の販売は、(株)ニデックが行うとのことです。
<ネピックの保険収載の概要5)>
(用語解説)
(参考資料)
(NPO法人再生医療推進センター 守屋好文)