筋ジストロフィー1)は、身体の筋肉が壊れやすく、再生されにくいという症状をもつ、たくさんの疾患の総称です。2015年7月から、指定難病に指定されています。我が国の筋ジストロフィーの患者さんの総数は、推計で約25,400人です。人は遺伝子の中にたくさんの変異を持っているおり、何も表に現れない変異が大半ですが、いくつの変異は、筋ジストロフィーという症状になって現れるとされています。症状が生ずる年齢や、症状の出やすい場所は、疾患によって様々です。筋力の低下によって身体を動かすことが難しくなる、呼吸・飲み込み・血液循環等に機能障害が生じたりします。疾患によっては、内臓・目・耳・脳などに機能障害や合併症を伴うものもあります。
現在、根本治療薬はありませんが、複数の疾患で新薬の開発が進められています。また、筋疾患以外のために開発された既存薬が筋ジストロフィーに良い効果をもたらさないか、という研究も進められています。ここでは、iPS細胞由来による筋ジストロフィーに関する再生医療について、3件の基礎研究についてご紹介いたします。
京都大学iPS細胞研究所臨床応用研究部門趙研究員、櫻井准教授らの研究グループは、ヒトiPS細胞から筋肉の高い再生能をもつ骨格筋幹細胞注1)を誘導する方法を確立したと発表しました(2020年7月3日)2),3)。発表によりますと、同骨格筋幹細胞をデュシェンヌ型筋ジストロフィー注2)モデルマウスに移植し、筋張力注3)の改善効果がみられた。筋肉にあるジストロフィンというタンパク質が欠損することによって発症するデュシェンヌ型筋ジストロフィー(DMD)は、進行性の重篤な筋疾患で、根本的な治療法は開発されていません。
ジストロフィンを骨格筋に再生する方法として細胞移植治療が期待されていますが、生体由来の骨格筋幹細胞であるサテライト細胞注4)の他家移植による治療では、治療効果が認められていません。別の研究グループによって、Pax7という遺伝子を強制的に発現させ続けることで骨格筋幹細胞を多能性幹細胞から誘導する方法が開発されました。しかし、遺伝子導入を行った細胞を移植するには今のところ安全面で課題があるとされています。
DMDの進行に伴って失われるジストロフィンを補うため、細胞移植療法による取組が行われていますが、安全面と治療効果において有効な移植用の細胞は見出されていません。当該研究では、骨格筋の発生過程を再現するという方法で、ヒトiPS細胞から骨格筋前駆細胞注5)を分化させる方法を確立し、Myf5という遺伝子の発現の有無と発生段階の時期によって、筋再生能の高い胎児型の骨格筋幹細胞を抽出できることを明らかにし、実際にDMDモデルマウスでの移植による効果を示されました。
同研究グループは、ヒトiPS細胞を段階的に骨格筋の発生過程をたどりながら分化させ、筋肉の高い再生能力を持つ骨格筋幹細胞の誘導を目指しました。段階的に発生過程をたどるためにPax3という遺伝子に注目し、初期の中胚葉発生過程を観察することで、ヒトiPS細胞から効率的に骨格筋前駆細胞を得られる方法を開発されました。開発された方法は、別の研究グループによって報告された誘導方法よりも誘導効率が上昇していることが確認されたそうです。
さらに骨格筋前駆細胞に特異的に発現する遺伝子の中でも、Myf5という遺伝子に着目したところ、発生過程初期ではMyf5陽性細胞は円形の細胞で、発生初期の骨格筋前駆細胞と考えられるのに対し、発生過程後期になると、融合して長く伸びた筋管細胞と同じ場所にMyf5陽性細胞が集まっていることが明らかにされました。また、発生過程後期には、Myf5陽性細胞がMyf5陰性細胞に比べて、Pax7など、サテライト細胞に特徴的な遺伝子も多く発現していることが示されました。
得られた結果に基づいて、ヒトiPS細胞由来のMyf5陽性細胞とMyf5陰性細胞を、それぞれ30万細胞ずつ免疫不全マウスのすねの筋肉(前脛骨筋)に移植すると、Myf5陰性細胞に比べてMyf5陽性細胞のほうが、移植後に筋線維を形成している度合いが高く、筋再生能が高いことが示唆されたそうです。発生過程初期と後期の細胞を比べてみると、初期のMyf5陽性細胞に比べて、後期のMyf5陽性細胞のほうが移植後の筋再生能が高いこともわかったようです。そしてこの分化後期のMyf5陽性細胞は、筋再生能の高い胎児型の骨格筋幹細胞と似た遺伝子発現パターンを示していることがわかりました。
iPS細胞から骨格筋幹細胞の誘導の結果に基づき、発生過程後期のMyf5陽性細胞の移植効果を確認するため、DMDモデルマウスのすねの筋肉に30万個のMyf5陽性細胞を移植したところ、1匹あたり100本以上のジストロフィン陽性筋線維が再生されるのが確認されたとしています。また一部のMyf5陽性細胞は移植後にPax7陽性のサテライト細胞になっていると考えられるとしています。運動機能を評価するため、DMDモデルマウスの右ふくらはぎの筋肉に100-200万のMyf5陽性細胞を移植したところ、移植後6週のマウスの筋力を測定すると、弱いながらも有意な筋張力の改善効果が示されたそうです。今後は開発された手法を改良し、治療効果の高い細胞を安定して作製する方法を確立することを目指すとされています。
京都大学iPS細胞研究所臨床応用研究部門の國分研究員、櫻井准教授および武田薬品工業(株)の薙野研究らの研究グループは、ジスフェルリン異常症の患者さん由来のiPS細胞から作製した骨格筋細胞を用いて既存薬剤のスクリーニングを実施し、ジスフェルリンのタンパク質量を増加させる化合物として既存薬ライブラリーからノコダゾールという抗がん剤を見出した発表しました(2019年7月1日)4)。
ジスフェルリン異常症は、ジスフェルリンという遺伝子の変異によって引き起こされる希少難治性の筋ジストロフィーです。我が国では、約200人の患者さんが診断されています。現在、治療薬はありません。同疾患は筋肉の細胞膜が損傷した時に引き起こされる膜修復という機能がジスフェルリン変異のために弱くなり、徐々に筋肉細胞へのダメージが蓄積して筋力が低下し、最終的に四肢が動かなくなります。
櫻井准教授らは、これまでにジスフェルリン異常症患者さん由来のiPS細胞を作製し、それを骨格筋細胞へと分化誘導させてジスフェルリン異常症の膜修復異常という病態を細胞レベルで再現されています。当該研究では、ジスフェルリン異常症ミスセンス変異患者さんのiPS細胞由来骨格筋細胞を用いて、既存薬ライブラリーを用いて別の疾患の治療薬として製造販売されているノコダゾールがジスフェルリン異常症の治療の可能性を検証されました。ノコダゾール自体は抗がん剤のため、長期間の投薬が必要となるジスフェルリン異常症患者さんにとっては細胞毒性が強く、使用は難しいと考えられるそうですが、当該研究で見出された分解経路をターゲットとしてさらに研究を進めることによって、今後ジスフェルリン異常症に有効な治療薬を見出す可能性があると期待されます。
鳥取大学大学院医学系研究科の押村教授と香月助教らの研究グループは、デュシェンヌ型筋ジストロフィー患者由来のiPS細胞で欠損している原因遺伝子を、独自に改良した「ヒト人工染色体(HAC)注6)ベクター」を用いて完全に修復する技術を開発したと発表しました(2019年12月9日)5)。デュシェンヌ型筋ジストロフィーについては原因遺伝子であるジストロフィン遺伝子が巨大であり、既存のベクターでは遺伝子治療が困難であり、既存のベクターでは患者さんのゲノムに挿入されることから、がん化などの危険性があることが指摘されていました。当該研究グループはデュシェンヌ型筋ジストロフィー患者さんとそのマウスモデルからiPS細胞を作製し、それぞれにジストロフィン遺伝子のゲノム全長を搭載したHACベクターを導入することで、内在ゲノムを傷つけることなく、その原因遺伝子を完全に修復することに成功されました。
ヒトおよびマウスいずれの場合も、iPS細胞由来の筋肉細胞においてジストロフィン遺伝子の発現が観察され、長期にわたり安定的に維持されたとしています。また、HACベクターで遺伝子を修復したモデルマウス由来iPS細胞からキメラマウスを作製すると、ジストロフィン遺伝子の組織特異的な遺伝子の発現が観察されたとしています。従来は困難であったジストロフィン遺伝子の完全な修復が、筋ジストロフィー患者由来のiPS細胞において明らかにされ、今後、これまでにES細胞で蓄積された筋肉分化誘導法と組み合わせることにより、新たな遺伝子治療に繋がることが期待されます。
(y. moriya)
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